本校の建物群は郡山城二の丸に位置し、以下のとおりに校舎が建てられています。
(2枚の郡山高校鳥観図は、美術部作成。)
そのうち、郡山城の名残があるものは、以下の5つあります。(字をクリックすると、写真にリンクします!)
※校内は関係者以外立ち入り禁止です。校内への二の丸跡見学はお控えください。(このページを眺めるにとどめてください。)
江戸期は二の丸御殿の表門でしたが、現在の本校では表門ではないため、通常閉じたままとなっています。
令和2年度に現在の理化館造成工事のため、発掘工事が行われました。その際の写真です。
この発掘の際に、金箔がついた瓦が発見され、ここに豊臣秀長時代の屋形があったと推測されています。
江戸期には、この辺りは郡山藩の政庁として藩政が行われていました。
校舎の裏にひっそりと櫓跡がたたずんでいます。
江戸期には、本丸に天守がなかった郡山城のシンボル的存在として、ここに櫓があったと推測されています。鰻堀に立派な楼閣が映える様子が目に浮かびませんか?
旧理化館の裏にひっそりと櫓跡がたたずんでいます。
周辺には木が生い茂り、職員(このページの作成者)もこれ以上立ち入れませんでした。鰻堀に伸びる石垣の様子をご覧ください。
小グラウンドとして体育の授業や部活動、卒業写真の集合写真等に使われています。なお、右奥の建物が本校の講堂です。
近世より残る貴重な石垣です。この石垣の姿が、近鉄電車からもよくみることができます。
本丸の石垣がよくわかります。左写真の真ん中には、柳沢神社の屋根、その左側には天守閣の石垣が見て取れます。
右側写真は、柳澤神社の鳥居とともに、その右側には陣前曲輪跡(現柳澤文庫)が見えます。
※本校の屋上は危険なため、通常上れません。